今年初の仕事が休みの今日、久しぶりに箱根駅伝を見に行く前に、2018年の初詣として、近くに住んでおきながら去年4月までまったく気がつかなかった 小さな山谷天神に行きました。

12月30日のブログ「横浜市南区の天神様 山谷天神」で書きましたが
去年の秋頃にこの天神様が入れないようになっている気がしたので、なくなっちゃうのかな?と心配していましたが、
暮れ(12/30)に行ったらお掃除してあり、誰かが管理してるんだーとわかり安心。

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閉まっているところしか見たことがなかったお社が開いていたよ。
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なんだかすごく嬉しかった。
12/30同様、お酒もお米もお水も備えてあった。
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毎回日記に書いている巳待講の石碑の前にも、30日と同じようにお供えがしてあった。
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10分くらいいたけど、誰もおらず、誰もこなかった。
世の中、御朱印、御朱印、と言うけれど、私がこれだけ神社巡りをしていて御朱印集めをしないのは、こういう 人のいないひっそりした神社が好きだからなの。

国道1号まで100mほど。
箱根駅伝復路第9区を見に行った。
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青山学院強い!2位の東洋大学が来るまで時間がかなりあったよ。
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次の3位の東海大学との間もひらいていた。
こういう時の時間って、長く感じるね。

帰りに山谷神社を見たら、誰もいませんでした。
私ひとりでもこの神社を応援しよう!

今年もよろしくお願いします。

読んでくださってありがとうございました。
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今年の4月、その存在に気がついた近所の山谷天神(六ツ川4丁目)。
その時のブログ 横浜市南区 山谷天神/山谷 沢稲荷

先々月頃、バスで通った時に鳥居手前にA型バリケード(ハードルみたいなやつ)がしてあったので、神社の持ち主がここを売ってしまうのか、ただ単に土砂崩れなどで危険でしてあるのか気になった。
なくなるのはイヤだよ〜

永谷天満宮と区政推進課企画調整係に問い合わせてみたら、
どちらも真剣に調べてくれたようで、数日後に返事が来たが、不明とのこと。

年末年始なら誰かいるかも?と仕事が休みの今日(12月30日)行ってみた。

バリケードがなかった!
もしかして駐車場の駐車禁止のためのものだったのかな?
なんにせよ、あーーーー良かった!

平戸桜木通り(県道218号)のどんづまり、山谷交差点の120mほど手前。
山谷交差点方面
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弘明寺・井土ケ谷方面
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ここ。マンションのすき間。
車が止まっていたら気がつかないかも?
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鳥居は平成元年の奉納。石灯籠は平成4年の奉納。
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20段ある階段にはちゃんと手摺がついている。
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右のイチョウの木は大変立派で御神木のよう。
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2つのお社。
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境内右には、かわいい手水舎。
これ、前回気がつかなかった。
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鳥の餌付けスタンド
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このリンゴ、まさにこの日に置かれたものと思われる。
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お社。中を覗いてみたら前回と同じ、菅原道真公の像、永谷天満宮の神札が左右に2枚。
水、塩、米 が供えてあった。←これは前回あったか不明。
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隣りの山谷 沢稲荷。
中はこちらも前回と変わっておらず、正一位稲荷大神社と祀ってあり、伏見稲荷のお神札が左右に2枚。
水、塩、米 が供えてあった。←これも前回あったか不明。
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巳待講の石碑前には、お供え物。
やっぱり 今日、誰か来ている。
その人に会えれば由緒など聞くのにな。

天保3年壬辰九月吉日と彫ってある。1832年だ。185年も昔。
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後ろの丸い石はもっと古そう。
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「山谷天神様を見つけた2017年は良い年でした、ありがとうございました」
と挨拶してきたよ。

2018年1月3日に行ったところ、お社が開いていました!
その時の日記はこちら

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今日は仕事が休みだったので、"行きたいところリスト”の”近所”に書いてある【平戸白幡神社】と【永谷天満宮】に歩いて行ってきました。
どちらも近所の人しか知らないよ。

関東地方・東北地方・中部地方に分布する源氏を祀る白旗神社のひとつ、平戸白幡神社。
国道1号線に面していて、目の前はホームセンター「島忠」
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ご祭神:源頼朝
ご利益:武勇長久、出世開運 他
創建:乾元元年(1302年)9月9日
鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請。本社の隣にある東福寺の鎮守として発足。
明和6年1769年相承院を通じ、みたましろとして「右大将家(頼朝公)の御鬢髪三筋」を送られた。
江戸時代には平戸村の鎮守となった。現社殿は昭和7年(1932年)に建立されたものである。
ここか隣りのお寺に頼朝公の髪の毛がある、それだけ仲が良かったってこと。

ご神木のケヤキの木。立派。
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こんなところに遥拝所!左写真の左のほうに写ってる。右はアップ。
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そんなにすごい階段の数じゃないけど(70段ほど)、上がれない人のために設置されたんだろう。

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賽銭箱には源頼朝の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」

手水舎
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水屋の由来が書いてあった。
この水屋は嘉永7年(1854年)次の方々により奉納されたものである。
世話人達の名前省略
嘉永6年(今から156年前)は、ペリーが黒船で浦賀に入港した年であり、坂本龍馬も浦賀の小原台からこの黒船を眺めたのはこの年の6月のことである。この3年後 桜田門外の変が起こる激動の時代であった。この水屋は基礎の痛みが激しいため白幡崇敬会によって補修奉納されたものです。平成22年9月吉日 白幡神社
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本殿を左右から見たところ
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敷地内には本殿正面を通るように鎌倉古道が通っている
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左へ行くと小さな鳥居があり、稲荷社と思われる末社があった。
ここ!気を感じた!
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境内へ戻る。そんなに広くない。
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階段を降りる。国道1号はいつも車の往来がはげしい。
そんなところにひっそり建っている平戸白幡神社だった。
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国道平戸の交差点から環状2号線へ。
2.3kmくらいで永谷天満宮。
環状2号線と平行して参道も本殿もあり、走行している車からは鳥居が見えにくいので、目立たない。
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日本三躰 永谷天満宮
Wikipediaによると、
大宰府に左遷された道真が自身を鏡に映して自ら彫ったと伝わる高さ1寸8分(6cm弱)の道真像3体のうち1体を神体として安置する。他の2体のうち1体は道真の墓がある太宰府の安楽寺(廃仏毀釈による廃絶後は太宰府天満宮)、もう1体は出生地である河内国土師郷の先祖代々の菩提寺である道明寺(神仏分離後は道明寺天満宮)に安置されている。これらを「日本三躰天神」と称する。
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イチョウの落葉がキレイ。
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道真公といえばウシ。ここにもいました。
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御神輿置き場
このみこしは安永9年(1780年)に造られた。江戸時代、学問が推奨され「文筆の神」として天満宮の
崇敬が高く、御神像(1寸8分)は御祭神菅原道真公ご自作のものである。徳川十代将軍家治の時、老中 田沼意次の紹介により天明(1781年)以降毎年江戸城に入り 将軍自ら之に拝礼されたと伝えられる由緒深い神輿である。
へぇ〜
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右手にある末社は鳥居が小さかったが中は4社が祀られていた。
稲荷社(宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
白糸社(天照大御神・豊受大神)
白山社(伊弉諾命・白山比咩命)
沢滝社(国常立神)
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ここはイチョウの木が見どころなんだね。
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本殿
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本殿右。境内マップには筆塚と書いてある場所。
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これは澤瀧不動尊と書いてあった
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左のこの祠はなんだろう
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ここからゆるやかな階段を上って頂上へ
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その入口左にあった小さな祠が気になる。小さい小さい祠。
私はこういうのが気になる。
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上って1分くらいで頂上
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○菅秀塚(かんしゅうづか)
ご祭神である菅原道真公の五男、敦茂公(あつしげ)は、父である道真公と同様、殊に学問に秀で、菅秀才と呼ばれるほどでありました。
しかし才能があるあまり、時の権力者である藤原氏の嫉妬を買い、父の道真公は太宰府に、敦茂公はここ永谷の地に配流されてしまったのです。
父を慕っていらした敦茂公は、天神山の山頂に立ち、悲嘆な想いで父がおられる遥か西方、太宰府に向けて毎朝夕に遥拝をされていました。
その遥拝された場所こそが「菅秀塚」であり、また敦茂公が愛用されていたと云われている筆や、敦茂公自身の髪の毛を埋めてあるとも伝えられています。
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この地(永谷)は今でこそ横浜市民のベッドタウンだけど、当時は何にもなかっただろう。イメージしたらかわいそうになった。

御神忌1100年記念の櫻植樹之碑も建っていた。
春には桜、キレイだろうな。その時にまた来よう。
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浅間神社。ご祭神様はご存知、木花咲耶姫。
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富士山眺望の丘
天気がよければ富士山が見えるんだろう。今日はぜんぜん見えなかった。
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下りて、本殿の左へ。
境内マップには、菅廟碑と書いてある
入ったけど、何もなかった
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帰りに階段を下りはじめて、すごい神木に目がとまった。
境内マップでは 黄色い矢印の木にあたるところ。
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それがこれ。
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切ってフタまでされているけど、これがちゃんと伸びていたらすごい木だろうな。

歩いて1時間くらいのところにこんな天満宮があったことを知れて有意義でした。

こんな地元の話題、読んでくださってありがとうございました。
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12月中旬からパンダのシャンシャンが公開になるその前に!と、東京国立博物館で開催中の「古代アンデス文明展」に金曜仕事の後 行ってきました。

上野公園、ライトアップされたイチョウがキレイ!
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1994年に開催された「黄金の都シカン発掘展」を皮切りに、2012年の「インカ帝国展―マチュピチュ『発見』100年」まで、開催された展覧会は5回。動員数は400万人以上。TBS「アンデス・プロジェクト」の集大成。先史時代から16世紀にスペインに滅ぼされるまでの約15,000年分を展示してある。
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今回は最後の「第6章 身体から見たアンデス文明」以外は写真撮影OKなので気になったのをたくさん撮ってきたよ。

いきなり入ってすぐに、かわいいワリ文化のリャマ像。高さ74cmの香炉だって。大きいね。
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背中に陶器のコップを乗せているように見える。

それにしても、夕方って空いてるのね。
平日の午前中は人、いっぱいなのに。
今度から平日夕方に来ることにしよう。
その代わりに、時間がなくて常設展が見られないのがデメリット
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↓右のほうにある柱はチャビン文明で造られた角柱遺物、テーヨのオベリスクのレプリカ。御神体みたいなもんらしいです。
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線刻装飾のある骨製の笛(カラル遺跡)
ペリカンの骨で造られた笛の表面に刻まれているのは、サル、トリ、ネコ科動物などの紋様。
口をつけるのは真ん中の穴で、両端の穴の塞ぎ方を調節して音色を出すんだって。
口をあんぐり開けた動物でマンガちっく。
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テノンヘッド(チャピン文化)
神殿を建てる際、外壁の石積みのすき間に ほぞ を挟み込み、壁面に多数の頭像が配置された。神殿で儀礼に参加した人が幻覚剤を摂取し、次第にネコ科動物に変貌する感覚を体験する様子を表している、とされる。
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自身の首を切る人物の象形鐙型土器(クピス二ケ文化)
アンデス文明において「切断後の人体」の表現は見られるが、進行中の殺傷行為を描いた事例は、この作品を含め現在までに2例しかない。耳飾りや全身の刺青から見るに宗教的指導者であろう。
こんな像があるなんて!
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動物象形石製すり鉢・すり棒(形成期後期)
猛禽のくちばしを備えたネコ科動物の「すり鉢」とネコ科動物の頭を持ったへびの「すり棒」
この「すり鉢」に似た商品をダイソーが100円で作ったら売れるだろうな。
私は買う。
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座った男性をかたどった2色鐙型注口土器(サリナール文化)とガイナソの双胴壷(ガイナソ文化)
ガイナソのほう、ギリシャ人みたいな感じ
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銅にめっきをし、線刻模様を描いた銅製のガラガラ(モチェ文化)
中に硬い物体が入っているので振ると大きな音がする。
ガラガラは宗教儀礼では重要の楽器のひとつ。
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横から見ると、メスライオンみたいな動物が刻まれている。
焼き印にも使えそう。
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アシカをかたどった鐙型単注口土器(モチェ文化)
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ウミガメをかたどった鐙型単注口土器(前期モチェ文化)
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チチャ(トウモロコシ酒)造りをする男女を表した鐙型単注口土器(モチェ文化)
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金地に象嵌された人面形の装飾品(モチェ文化)
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同じ人物の人生の3つの時期の顔を表現した肖像土器。(モチェ文化)
左がいちばん若くて、右にいくにつれ、年をとっていってるのかな
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走る人々を螺旋状に描いた鐙型単注口土器(モチェ文化)
モチェの重要な儀式、マメを入れた小さな袋を手にして走るランニングレースを描いたもの。
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マメを入れた袋、本当に描いてあるわ!
障害物競争を連想したが、そんなのでなく神聖なレースなんだろう。

象嵌のマスク(前期モチェ文化)
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裸の男性の背中にネコ科動物がおぶさった鐙型単注口土器(モチェ文化)
説明のカードには、これから生け贄にされる男性を押さえ込んでいるように見えると書いてあるが、
飼いネコ?がご主人さまに後ろから「遊んでーー」とじゃれついているように見える。
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人間型の鹿の坐像をかたどった鐙型単注口土器(モチェ文化)
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擬人化したネコ科動物 レプリカ(モチェ文化)
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戦士の像付き黄金の耳飾り レプリカ(モチェ文化)
これすごくよく出来ている!かわいいし。
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今回一番クスッと笑ったのがコレ!
4つの首が描かれた土製内弯鉢(ナスカ文化)
アニメチック!!
40年前の作品です、と言われてもわからない。
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植物を身につけた人間型神話的存在が描かれたヒョウタン容器(ナスカ文化)
↑この表現がおもしろい
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以下の2つも、最近の作品といっても過言ではないくらいポップ。
2匹の魚が描かれた土製の皿(ナスカ文化)
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縄をかけられたラクダ科動物(リャマ?)が描かれた土製の皿(ナスカ文化)
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ミイラのマント
ミイラを包むマント。織物には超自然的な精霊を思わせる人物が織り込まれていて、死者が超自然的なもの(精霊や祖先神)に変わっていく変化をテーマにしてものもある。
きれいだったよ。
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かみ合う犬歯が生えたドクロをかたどった銀の葬送用冠(ティワナク文化)
銀を叩いて伸ばしたんだろうけど、薄くてまるでアルミホイルみたいだった
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ネコ科動物をかたどった多彩色土製香炉(ティワナク文化)
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リャマをかたどった土製香炉(ティワナク文化)
ウマの獅子舞みたい。
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ネコ科動物をかたどった儀式用香炉(ティワナク文化)
この動物は現地で「ティティ」と呼ばれるアンデスネコだろうって。
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ストラップが付いたつづれ織りのバッグ(ティワナク文化)
これなんかチャイハネやチチカカで売っててもおかしくない。
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カモを持つ男性の象形土器(ティワナク文化)
左腕にカモの乗せている「カモの王」という呼び名でも知られる写実的で見事な儀式用土器。と書いてある。
どういう儀式で使われたのかわからないけど、これもなんというか、ほんわかと温かくさせられる。
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左:コンチョパタ遺跡と 右:ティワナク遺跡の土器にそれぞれ描かれていた「杖の神」
似ているから長らく同じ文化だと思われていてきたが、共通しているように見えた「4つの突起がある帽子」チュニックなどの作り方や装飾のルールに違いがあることがわかってきたんだって。
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杖の神って、何だろうね。

会場はこんなに空いてたよ
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人間に顔が描かれた多彩色鉢(ワリ文化)
舌を出しているのは政治的に重要な立場の人間で「人々に語りかける者」なのか、ワリが征服した敵を絞殺した姿と考えられる。
後者のような気がする、、、
これまたポップな土器だった。
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多彩色装飾のある双胴壷(ワリ文化)
2人の人間が固めの盃を交わす儀式で使われていたと考えられる。
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多彩色の水筒型壷(ワリ文化)
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チュニックの一部?(ワリ文化)
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打ち出し技法で装飾をほどこした金のコップ5点セット(中期シカン文化)と金の器(シカン文化)
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貝殻と鉱物ビーズで作られたU字形の胸飾り(中期シカン文化)
これは見事!身分の高い人が付けてたんだろうな。
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頭を覆う布(チャンカイ文化)
レースのように向こうが透けて見える、ワタの四角い布。女性が頭を覆うために使った。複雑な構造で非常に繊細である。結び目細工と からみ織りを組み合わせて海中の魚を描き、波のようなうずまきも表現している。
真ん中に右を向いた魚が2匹、見えるよね?
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図案サンプル(チャンカイ文化)
さまざまな図案を多様な技法で織り込んだ4枚の帯状の布を継ぎ合わせたもの。非常に腕のよい織り手によって織られているようで、パターンの見本であったように思われる。
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2色の装飾と魚の付いた円筒瓶(チャンカイ文化)
この魚の描き方も最近っぽくて親しみを感じた
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最後の帝国 チムー王国とインカ帝国のコーナー
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有名なインカ帝国は、15世紀前半から1572年にピサロ率いるスペイン兵に征服されるまで実在した。
私は高校生くらいの時にこれを知った時、織田信長が出てきたあたりまでインカ帝国があったことに驚いた。
もっと大昔、日本だと弥生時代くらいかと思っていたから。
そんなに最近!
戦争には征服や破壊がつきものだから仕方がないのかな。
征服されていなったとしたら、今でもこんな文化(の延長)だとは思わないけど、もっと遺跡や遺物が残っていただろうにね。

人間をかたどった祭祀用の杯(チムー文化)
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木製柱状人物像(チムー文化)
チャンチャン遺跡の王宮複合建造物の入口付近の壁に埋め込まれていた像。
どちらの人物も両手で何かを持っているが保存状態が悪いため何を持っているのかわからない。
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木製のミニチュア建築物模型(チムー文化)
これも驚いた。
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中をよーく見て!
4人の兵士?がいる!
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木製の葬送行列のミニチュア模型(チムー文化)
真ん中の卵形ものをは死者を美しい織物でくるんだ「葬送包み」を表している。周囲に付き従う12体の像がみな異なる服装なのは、それぞれの人物の役割ないし地位が違うことを示唆している。
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儀礼用ガラガラ付き銀合金製品(チムー文化)
ここまで何度か「ガラガラ」というのが出てきた。
英語では、Rattling 【形】ガタガタ[ガラガラ]いう[音を立てる]という意味。
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棒って、民衆を鼓舞したり指揮したりする道具だったんだね。

インカ帝国のチャチャポヤス地方で使われたキープ(インカ文明)
写真右の細い紐を広げたやつ
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文字を持たなかったアンデスで、情報の記録伝達手段という役割を担ったのがキープ。紐に結び目を作るこの通信手段は、ワリ帝国(7世紀半ば〜10世紀後半)の時代にはすでに存在していた。
文字は解明できるけど、この”キープ”はまだ解読されていないと、前回のこの展覧会の時に読んだ。
解読できたら、もっと南米の大帝国の事がわかるだろうね。

「第6章 身体から見たアンデス文明」
ここは写真撮影不可。矯正した頭蓋骨、ミイラが何体かありました。
エジプトのミイラは「再生」、南米のミイラは「子孫と共に生きる」という感じなのかな。

シアターでは、7分ほど「アンデス文明の世界遺産絶景の旅」が上映。
こういうのはいつも最前列で見るので、すごい迫力。

SHOPの手前にある、ドコモのIoT技術を活用した「VR ウユニ塩湖~17,000kmの彼方へ~」(別料金50円)
VR(Virtual Reality)世界内でプレイヤーはエケコ(南米の人形)になり、両手に持ったコントローラーでエケコ人形の手を動かし、願い事アイテムを取れる。取ったアイテムはエケコ人形の頭や胸に付ける事が出来て、自分だけのオリジナルエケコ人形が完成。

何だかわからないけど、初めてのVRやってみました。
スタッフの人にゴーグルとヘッドフォンを付けてもらい、コントローラーと持つ。
ウユニ塩湖上にいる感じはした!

しかし、それだけでよかったのにな(笑)エケコになって遊ぶのは不要。


VR空間内で記念撮影を行い、その写真をQRコードでもらえる。
これがそれ。
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上野駅近くのイチョウの木。上にはお月様。
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買ったグッズはクリアファイルとナスカの地上絵地図。
地上絵地図は、以前から売られていたし、定番商品だと思う。
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前売り買っておいたので、手ぬぐいと引き換えた。
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ガチャは、ハズレなしのセンスよい地上絵。
あえて言えば、一番右のがハズレかも?

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私のはハチドリでした。
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古代アンデス文明展は、2018年2月18日まで開催。
パンダのシャンシャンが公開されるまでに行くほうがいいかも?

VRはこれからいろんな映像を見せてくれるだろうな。
欲しい。
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昨日11月28日

ここ5年?くらい1年に2度くらい鎌倉に行っていて、その都度、日記を書いてるので、だいぶ鎌倉に詳しくなった。
今日は何も計画せず、ただ午前中"紅葉を見に行くだけ”の散歩。

まずは定番、北鎌倉駅。
大勢降りる観光客のほとんどが すぐそばの円覚寺の入口で記念撮影でたむろする。
なので、時間差で降りるほうがいいのだ。

そうは言っても、あまりにも円覚寺は近すぎるので、時間差をつけるために、今回は真ん中らへんの臨時改札を出て "大船方面"へ逆行し、しばらく行き、線路を渡り鎌倉街道で北鎌倉駅へ戻るという戦術。
あーー説明が難しい。

わざわざゆっくり遠回りしながら円覚寺へ。
この駅が円覚寺の境内にあることはこの写真を見たらよくわかる。
どう見てもお寺の参道でしょ?この向こうにお寺の入口がある。
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You達がいたよ。
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8時半頃、電車を降りた観光客が去った後だったので、人が少ない写真が撮れた。
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この季節、この場所で誰も写っていない写真が撮れたのは嬉しい。

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縁切り寺、駆け込み寺で有名な東慶寺。
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浄智寺
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建長寺方面へ行くか〜と看板を見たら、亀ヶ谷坂切通しの看板が目にとまった。
行ったことがない切り通しだ!行ってみよう。
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この先、すごい急下り坂。
他の切り通しと違って生活道路だ。
そちらへは行かず元の鎌倉街道へ戻る

何だろうこの神社、第六天社。
建長寺の鎮守神だって。
鍵がかかっていて上に上がれないよ。
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帰ってから検索したら「7/15〜22の例祭期間中は一般公開される」らしい。
今度、その時期に行ってみようかな。

鎌倉学園中学校・高等学校。桑田佳祐、堺正章の出身校。
鎌倉五山一位の建長寺はこの隣り。
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大好きな円応寺。
建長寺の反対側にひっそり階段があるから、見逃しがち。
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迫力の「閻魔王」の文字。
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すごく顔の大きい閻魔様がいらっしゃるのだ。興味ある人は検索を。
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巨福呂坂(こぶくろざか)洞門を通って、小町通へ(鎌倉駅はこの先)
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ええっ!!信じられる?!
いつも大混雑の小町通が人、少なーーーーーー!

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数人しかいないよ。9時半頃ならこんなに少ないんだ。

そんな小町通りを(鶴岡八幡宮側から)入ってすぐを右折。
川喜多映画記念館の前を通って、寿福寺へ。
横側からいつも入るんだけど、今まで気にしなかったこの5基の石碑が今日は気になった。
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右から2番目、「見ざる言わざる聞かざる」の「三猿」
330年以上前の延宝八年(1680)だって。
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真ん中の石碑。よく見るとかわいい〜 
マンガみたいな青面金剛像だ。足元には三猿もいるよ。
これは天明六年(1786)。230年前くらい。
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寿福寺の入口。
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中にはスケッチしてる人が手前と奥で3人いた。
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英勝寺の前のイチョウの木がこんなになってて大ショック!
2年前は(右写真)こんなに立派だったのに(;_;)

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↑撮影した場所がちょっと違うけど、同じ木。
何で枝を切っちゃったのかなぁ。

JRの線路脇を少し行くと左側に小さなお稲荷さまがある。
今までスルーしてたけど、神社検定3級に受かってからは、どんな小さな神社も見逃さず寄ってみる(笑)
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ご祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)だった。
帰って検索したけど、○○稲荷とか名前がなく、ぜんぜん検索にひっかからない。

そのまま進む。海蔵寺へ。
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ここが今日の目的地と言っても過言じゃない海蔵寺。
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2年前に行って、人も少なく紅葉も一番キレイだった。
2年前は12月上旬だったからか、今日(11/28)は、もうちょっとだった。
今週末(12/4〜5)くらいがベストかも。

底脱の井
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タイマー撮影
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他のお寺はまだ深紅じゃなくても、ここは深紅だった。
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何じゃ?この石、と思ったが、たぶん片手でも持てるようにロープを巻いているんだろう。
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頭いい〜〜

さて次はどこに行こうかな?
仮粧坂切通、源氏山公園、銭洗弁天に行ってみるか。
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仮粧坂(けわいざか)切通入口
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化粧坂とも書く。
名の由来は、平家の武将の首を化粧して首実検したとか、このあたりに娼家があったとか諸説ある。
アッという間。鎌倉七切通しの中で一番短いんじゃないかしら。
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源氏山公園、わーーーーー誰もいない!こんなの初めて!
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頼朝公とふたりっきりだ。
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3分くらい、ひとりでした。その後は、散歩の人がちらほら来た。
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てくてくと坂を下って、人気スポット銭洗弁天へ。
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本当の名前は、銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)
源頼朝が、巳年にあたる1185年の巳の月・巳の刻に、夢のお告げで霊水を見つけたことがきっかけとなり創設された。
鳥居をくぐって短いトンネルを抜けると、手水舎。
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ここはさすがに修学旅行生が少しいた。

下之水神宮
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↑ここ、隣りに小さい滝があって、いつも誰もいなくて、なんだかホットさせられる。
人がいるのは、お金を洗う奥宮のほう。

ちょっと上のほうにある 上之水神宮。
ここも好き。
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この奥宮も、今日はホント、人が少なかったよ。修学旅行生だけ。
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すごい時はお金洗うのに何時間も待つらしい。
今日は定期を買わないといけないんで、お金、洗いませんでした。

次は、坂をくだって住宅地を抜けて、佐助稲荷。
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ご祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)←倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と同じ神様。
(『古事記』では宇迦之御魂神、『日本書紀』では倉稲魂命と書く)
他、大己貴命、佐田彦命、大宮女命、事代主命。
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タイマー撮り
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伊豆の蛭が小島に流されていた源頼朝の夢枕に”隠れ里の稲荷”と名乗る翁姿に身を変じた神霊が立ち、平家討伐をススメて助けた。
後に幕府を開いた頼朝は、隠れ里に祠を探し当て、この稲荷神社を建てたと伝えられる。
「佐殿(すけどの)」と呼ばれいた頼朝を助けたので「佐助」という名前を付けたと言われている。
という由緒です。
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霊狐泉。ここで静かにしてたら、リスを見ることができるよ。
今日は来てくれました。
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もうここから鎌倉駅は20分くらい。
弁当買って帰ろうっと。

鎌倉駅。人が多い小町通り側。
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あ、せっかくだから鎌倉駅から一番近いお寺に久しぶりに行っておこう。
若宮大通り渡ってすぐ。

大功寺(だいぎょうじ)
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ここの縁起は検索しても出てこないけど、何かの本に、
成仏した女性からもらった "あの世の帷子の切れ端”があるって書いてあったな。
季節のお花が咲いている。
若宮通りの向こうに住んでいる人が、近道として通っている感じもする。

鎌倉駅で大船軒の駅弁を買って帰宅。
日本初の駅弁って何か知ってる?
それがこれ、大船軒の「サンドウヰッチ」なんだって。ウヰッチね。
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創業120周年を越える老舗の駅弁屋大船軒が創業の翌年の明治32(1899)年に発売。

鎌倉ハムが4切れ。チーズが2切れ。
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味は、チーズは生クリームのようなちょっと甘くヌルい感じ。
鎌倉ハムにはマスタードが薄く塗られている。

生まれて初めて食べたサンドイッチがこんな味だったかも?
という懐かしさを感じます。
こんな味、今まず売ってない。
コンビ二やパン屋のサンドイッチとぜんぜん違う。
昭和どころか明治の味。←生まれてないけど。

もうひとつは、しらす弁当。
有名な鯵の押し寿司は、いつも買ってるので今日は買いませんでした。
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日本最初の駅弁はここじゃない気がするんだけどな(笑)宇都宮らしい。

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