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今日は仕事が休みだったので、"行きたいところリスト”の”近所”に書いてある【平戸白幡神社】と【永谷天満宮】に歩いて行ってきました。
どちらも近所の人しか知らないよ。

関東地方・東北地方・中部地方に分布する源氏を祀る白旗神社のひとつ、平戸白幡神社。
国道1号線に面していて、目の前はホームセンター「島忠」
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ご祭神:源頼朝
ご利益:武勇長久、出世開運 他
創建:乾元元年(1302年)9月9日
鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請。本社の隣にある東福寺の鎮守として発足。
明和6年1769年相承院を通じ、みたましろとして「右大将家(頼朝公)の御鬢髪三筋」を送られた。
江戸時代には平戸村の鎮守となった。現社殿は昭和7年(1932年)に建立されたものである。
ここか隣りのお寺に頼朝公の髪の毛がある、それだけ仲が良かったってこと。

ご神木のケヤキの木。立派。
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こんなところに遥拝所!左写真の左のほうに写ってる。右はアップ。
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そんなにすごい階段の数じゃないけど(70段ほど)、上がれない人のために設置されたんだろう。

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賽銭箱には源頼朝の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」

手水舎
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水屋の由来が書いてあった。
この水屋は嘉永7年(1854年)次の方々により奉納されたものである。
世話人達の名前省略
嘉永6年(今から156年前)は、ペリーが黒船で浦賀に入港した年であり、坂本龍馬も浦賀の小原台からこの黒船を眺めたのはこの年の6月のことである。この3年後 桜田門外の変が起こる激動の時代であった。この水屋は基礎の痛みが激しいため白幡崇敬会によって補修奉納されたものです。平成22年9月吉日 白幡神社
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本殿を左右から見たところ
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敷地内には本殿正面を通るように鎌倉古道が通っている
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左へ行くと小さな鳥居があり、稲荷社と思われる末社があった。
ここ!気を感じた!
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境内へ戻る。そんなに広くない。
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階段を降りる。国道1号はいつも車の往来がはげしい。
そんなところにひっそり建っている平戸白幡神社だった。
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国道平戸の交差点から環状2号線へ。
2.3kmくらいで永谷天満宮。
環状2号線と平行して参道も本殿もあり、走行している車からは鳥居が見えにくいので、目立たない。
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日本三躰 永谷天満宮
Wikipediaによると、
大宰府に左遷された道真が自身を鏡に映して自ら彫ったと伝わる高さ1寸8分(6cm弱)の道真像3体のうち1体を神体として安置する。他の2体のうち1体は道真の墓がある太宰府の安楽寺(廃仏毀釈による廃絶後は太宰府天満宮)、もう1体は出生地である河内国土師郷の先祖代々の菩提寺である道明寺(神仏分離後は道明寺天満宮)に安置されている。これらを「日本三躰天神」と称する。
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イチョウの落葉がキレイ。
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道真公といえばウシ。ここにもいました。
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御神輿置き場
このみこしは安永9年(1780年)に造られた。江戸時代、学問が推奨され「文筆の神」として天満宮の
崇敬が高く、御神像(1寸8分)は御祭神菅原道真公ご自作のものである。徳川十代将軍家治の時、老中 田沼意次の紹介により天明(1781年)以降毎年江戸城に入り 将軍自ら之に拝礼されたと伝えられる由緒深い神輿である。
へぇ〜
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右手にある末社は鳥居が小さかったが中は4社が祀られていた。
稲荷社(宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
白糸社(天照大御神・豊受大神)
白山社(伊弉諾命・白山比咩命)
沢滝社(国常立神)
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ここはイチョウの木が見どころなんだね。
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本殿
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本殿右。境内マップには筆塚と書いてある場所。
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これは澤瀧不動尊と書いてあった
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左のこの祠はなんだろう
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ここからゆるやかな階段を上って頂上へ
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その入口左にあった小さな祠が気になる。小さい小さい祠。
私はこういうのが気になる。
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上って1分くらいで頂上
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○菅秀塚(かんしゅうづか)
ご祭神である菅原道真公の五男、敦茂公(あつしげ)は、父である道真公と同様、殊に学問に秀で、菅秀才と呼ばれるほどでありました。
しかし才能があるあまり、時の権力者である藤原氏の嫉妬を買い、父の道真公は太宰府に、敦茂公はここ永谷の地に配流されてしまったのです。
父を慕っていらした敦茂公は、天神山の山頂に立ち、悲嘆な想いで父がおられる遥か西方、太宰府に向けて毎朝夕に遥拝をされていました。
その遥拝された場所こそが「菅秀塚」であり、また敦茂公が愛用されていたと云われている筆や、敦茂公自身の髪の毛を埋めてあるとも伝えられています。
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この地(永谷)は今でこそ横浜市民のベッドタウンだけど、当時は何にもなかっただろう。イメージしたらかわいそうになった。

御神忌1100年記念の櫻植樹之碑も建っていた。
春には桜、キレイだろうな。その時にまた来よう。
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浅間神社。ご祭神様はご存知、木花咲耶姫。
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富士山眺望の丘
天気がよければ富士山が見えるんだろう。今日はぜんぜん見えなかった。
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下りて、本殿の左へ。
境内マップには、菅廟碑と書いてある
入ったけど、何もなかった
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帰りに階段を下りはじめて、すごい神木に目がとまった。
境内マップでは 黄色い矢印の木にあたるところ。
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それがこれ。
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切ってフタまでされているけど、これがちゃんと伸びていたらすごい木だろうな。

歩いて1時間くらいのところにこんな天満宮があったことを知れて有意義でした。

こんな地元の話題、読んでくださってありがとうございました。
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