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昨日(8/10)青春18きっぷで、”日帰り遠出の旅”をしようと有給休暇を取っていたのに、朝起きる時間を1時間間違えてしまい、中止にしました(;_;) 寝坊ではありません。
1時間違うとどうなるか、計算してないけど、たぶん家に帰ってくるのが23時になるかと。
この旅は無期延期。

起きる時間ミス、過去にもあるのよ〜
ひとり旅の良さはここ。同伴者がいたら大変。

ということで、今日はどこに行こうかな〜と考えたところ、
すぐ行ける鎌倉で、ふだんなら行かないところ、よっぽどヒマじゃないと行かない所巡りをすることに。

10:20頃、横須賀線に乗車。
すでに満員。鎌倉の大混雑がこの時点で想像される。
10:32、鎌倉駅到着。やっぱり人、多いよ。世界中から。
日光と鎌倉って、どっちが世界からの観光客多いのかな?
と思って調べたら↓
http://www.mugihiro.com/room/2018/06/201806.html
鎌倉2100万人、日光1070万人でした。

駅を出て、若宮大路を通り、鎌倉郵便局の隣りの道を歩く。
もうこの時点で歩いているのは私ひとり。駅にはあんなに人がいたのに。
鎌倉郵便局の隣りの道80mくらい?歩いている時、渋滞の車1cmも動いてなかったよ。

本覚寺
行ったことがあるからパス。
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今日の最初はこういうコース
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まずは 八雲神社へ。駅から10分かからない。
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ぜったいに誰もいないだろうと思ったら、結婚式が始まる前でした!
入っていいのかな?とウロウロしていたら、どうぞ!と言われたので、ふつうに参拝しました。
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Wikipediaによると、
源頼義の三男、新羅三郎義光が兄の八幡太郎義家の奥州攻めの力添えで出陣の際、鎌倉に疫病が流行しているのをみて、京都祇園社の祭神を勧請し、祭ったのが始まりと伝えられる。
明治より前は、鎌倉祇園社や祇園天王社と呼ばれていた神社。

御祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)・稲田比女命(いなだひめのみこと)・八王子命( はちおうじのみこと)・佐竹氏霊(さたけしのみたま)

入ってすぐ、寛文10年銘の庚申塔と猿田彦大神石碑
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手水舎
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新羅三郎手玉石と御神木
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末社の諏訪社、稲荷社、於岩稲荷社
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於岩稲荷社って、お岩様って書いてあるけど、あのお岩さん?
拝殿の左にあるこのお社を見ていると、結婚式が始まった。お幸せに!
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神社右に、祇園山ハイキングコースの入口。
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行こうかどうか迷ったけど、1時間くらいかかるし、暑いし、虫がいっぱいいそうだったから今回はやめた。
秋に来よう!
入口横には、末社の三峯神社と御嶽神社。
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少し戻って 常栄寺。通称ぼたもち寺。
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処刑のため刑場(現・龍口寺)に引かれて行く日蓮に、尼僧が胡麻ぼたもちを捧げた。この後、日蓮は刑を免れたことから「御首継ぎに胡麻の餅」として有名になった。
このお寺は前に見たから今回はパス。

妙本寺。
頼朝の重臣、比企一族の屋敷があったところ。その後、日蓮に帰依し、法華堂を建てて、現在にいたる。
ここも以前行っているのでパス。
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通りすがりにあった 蛭子神社。ここは初めてだ。寄ってみよう。
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手水舎には水がない
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ご祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
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ひっそりしていて、駐車場になっていて(笑)いかにも村社らしい。

鎌倉江ノ島七福神のひとつ妙隆寺(寿老人)の入口
ちょうど人力車が通ってイイ感じの写真になった。
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わ!あった!
宝島社のVOWという読者投稿おもしろネタ本をご存知でしょうか?
若かりし頃、さんざん笑わせてもらった本。
そこに載っていたやつ。
加茂歯科。もちろん病院のマスコットもカモシカ
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カモシカが歯ブラシ持ってる
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この古民家はカフェ。
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向っているのは東勝寺跡。

その手前、青砥藤綱旧蹟。
ここ!今回私が行きたかったところのひとつ。
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青砥藤綱は、鎌倉時代に存在したとされる武士。
執権北条時頼の頃に、活躍したとされる人物。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、こういう逸話。

鎌倉滑川をまたぐ東勝寺橋。謎の人・青砥藤綱が銭十文を探した「現場」です
http://www.owners-style.com/2014/07/post-955.html
↑ここのを添付

ある夜のこと。藤綱は、役所に出かける際、滑川を渡ろうとして、
うっかり流れの中に、お金を落としてしまったのです。

その額、十文(今だと10円くらい)

そこで彼があわててしたこと・・・

人を走らせ、銭五十文をはたいて松明を買わせ、それで川底を照らし、

落とした十文を拾い上げました。

ですが、これを聞き、皆が笑ったそうです。

「あなた、それでは四十文損しているじゃないか」

ところが藤綱が言うに、

「そうじゃない。
川に落とした十文をそのままにしてしまっては天下の損失。
そのお金は二度と人々の間を渡り歩くことがなくなってしまう。
私が松明を買うのに支払った五十文は、私にとっては損だが、
天下のことを考えれば損じゃない。世の中を回っていき、皆の利益となる」

ここがその十文を落としたとされる”現場”。
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10才くらいの頃、小学館の「お話宝玉選」に、藤綱のこの話が載っていて、まさかそこが現存するとは思っていなかった。
何十年もたって、ここに来れたのは何かの縁。
藤綱が呼んだのかな?
で、この後、藤綱邸跡に行くので〜す。

橋の隣りの 東勝寺橋ひぐらし公園
うっそうとしていて暗い。
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東勝寺
北条一族の菩提寺だったところ。
Wikipediaによると、
新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが、成すすべもなく自ら火を放って自刃。
『太平記』によると、自害した者は一族・家臣283人、あとに続いた兵も合わせて870人余であったという。
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発掘調査で、炭化物の層が何cmも出てきたそう。焼け落ちた証拠だね。
今は国指定史跡で静かだ。
この奥、北条高時の腹切りやぐらへ
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一族など数百人がここで自害し、鎌倉幕府は消滅。
う〜〜〜〜〜〜。ここは凄みがある!
「霊処浄域につき参拝以外の立入を禁」の看板。

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怖いとかは全く感じなかったけど、心霊スポットでもあるらしい。
知らないで来たらぜんぜん大丈夫だよ。
祇園山ハイキングコースの一部だしね。

さあ戻ろう。

土佐坊昌俊邸址
義経追討に活躍した土佐坊昌俊の屋敷跡。
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鎌倉七福神のひとつ宝戒寺(毘沙門天)
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入ってすぐの草ぼうぼうの中に 北条執権邸旧跡碑。
ここも来たことあるからパス。
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岐れ路から 金沢街道方面へ、1本裏の「田楽辻子(でんがくずし)のみち」を歩く。
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文覚上人屋敷跡
鎌倉の名物僧侶。海の嵐を鎮める法力を持ち、頼朝に平氏追悼の院宣をもたらしたという伝説の人物。
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鎌倉の切り通し(朝比奈、名越、大仏、化粧坂、亀ヶ谷坂、極楽寺坂、釈迦堂口、巨福呂坂)のひとつ、釈迦堂口。
だいぶ前から通行止めなのは知っているが、どこまで行けるのか行ってみよう!
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途中、総ヒノキ造りの家がありました。
すごいヒノキの匂いがしたよ。お風呂もヒノキかな?
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釈迦堂ヶ谷の看板
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売地の看板。
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さらに進むと、
通行禁止の看板。ガケ崩れ、直さないのかな?
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ファエンスのすき間から撮影
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凱旋門みたいな一番大きな切り通しがあるのに、残念だ。

田楽辻子(でんがくずし)のみちへ戻る。
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上杉朝宗及氏憲邸址
鎌倉公方を補佐する関東管領として、足利氏満・満兼に仕えた上杉朝宗と、子の氏憲の屋敷址。
全く知らないわ。
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竹林で有名な報国寺へ向う。
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報国寺入口。
はい、ここは観光客どっさり。何度か来ているので入口だけ見てパス。
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橋のたもとの 石仏がかわいかった。
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金沢街道へ戻り、朝比奈切通方面へ進み、本日のゴール、青砥藤綱屋敷跡へ。
そう、さっきの川で十文落とした人。
報国寺からすぐ。
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この橋を右に渡ったところの角に、、、
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屋敷跡の碑がある
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以下、青砥藤綱の墓(富岡・青砥)より引用
http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/jyuumonsen.html

青砥左衛門尉藤綱は鎌倉時代の執権、北条時頼に仕え、引付衆として幕府の訴訟審理を担当し、権力にこびない公平な裁判に努め、生活は常に質素を心がけ、清廉潔白な人柄といわれました。

青砥左衛門賢政の事(太平記・巻第三十八)
青砥左衛門某という者がいた。数十ヶ所の所領を治めていて、財貨もやはり不足してはいなかったけれども、衣装は麻の粗末な直垂を着、絹ではない織物の大口袴をはき、飯のおかずは焼塩と乾し魚一匹のほかにはつけなかった。

藤綱さん、このあたりに住んでいたんだね。
この川も、鎌倉時代はもっとキレイだっただろう。
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金沢区富岡のバス停「青砥」からバスで鎌倉駅へ戻る。歩くと30分くらい。
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来たのは満員のバス。
この先もお客さんが乗ってきて、超満員。12分くらいで到着。
車の往来が多くて、歩くのイヤなんだな、この道(金沢街道)。
今日は暑かったからバスで帰ったけど、季節よければ、歩くべし。

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